この写真を見て、「あ!」と思う方も多いかもしれませんね。
ここは、浜松の街中、有楽街の南側(鍛冶町側)から入ってすぐの所にある「
黒田稲荷神社」です。
大抵の方は素通りすることが多いと思いますが…
実は、知る人ぞ知る、有名な神社、
パワースポットのひとつなんです!
「黒田稲荷神社」がパワースポットと言われる秘密とは?
鳥居をくぐると、すぐ正面にある小さな小さな社。
パワースポットと呼ばれる秘密は、この社の向かって右手側の大きな絵馬にあります!
「黒田稲荷神社」と芸との関係
「
アンコ椿は恋の花」と書かれた絵馬。
脇にはサインが添えられていますが、実はこれ、演歌歌手
都はるみ さんのものだそうです。
「アンコ椿は恋の花」は、1964年10月にリリースされた都はるみさん 初めてのヒット曲。
ミリオンセラーになり、レコード大賞新人賞も受賞した有名な曲ですが、一体なぜここに奉納されているのでしょうか?
一説には、こんな風に伝わっています。
売れない呉服商が、ある日、黒田稲荷神社脇の電柱に貼られていた、浜松市民会館(はまホール)で開催される「都はるみのコンサートポスター」を目にします。
最後のチャンスと思い、黒田稲荷神社に参拝してから、都はるみさんに直接着物を売り込みに行ったところ、大成功!
都はるみさんはこの後レコード大賞を受賞するヒット歌手となり、また、この呉服商の着物が「都はるみの着物」として売れるようになったとのこと。
どんなご縁で絵馬が奉納されたのかが気になりますが、一部ではこの伝説が有名になり、芸能人もお忍びでお参りするようになっているのだそうです。
「黒田稲荷神社」の由来
社の右手側には、黒田稲荷神社の由来も記されています。
昔から、町の人に愛され、親しまれていた神社ということで一見して分かりますね。
黒田稲荷神社 由来
当稲荷神社は豊受大神(地の神)を御神体として五穀豊穂 商売繁昌 家内安全の神として享保年間 当町教興寺末寺 仏称山浄鏡院の妙円尼がお迎え祭祉したものです。
明治六年廃藩置県に依り廃寺処分を受けたが鍛冶町先住者の信仰熱意により代々受継がれ今日に至っています。
昭和二十年太平洋戦争の戦火に遇い暫時荒廃そのものであったが地元六丁目有志を中心に全町信仰熱意も加わり町有地(六丁目有楽街入口)に復元建立され毎年初午日を大祭として、毎月一日例祭を行い崇敬奉賛詣でも遠くは東京、名古屋からも加わり繁栄を極めております。
平成二年初午大祭 記
黒田稲荷保存会
ちなみに、大祭が行われる「
初午」の日とは、全国の稲荷社での祭りの日のことで、2月の最初の午の日のこと。
稲荷社の本社「伏見稲荷神社」の祭神「宇迦御霊神」が降りた日が2月の初午だったため、この日は全国の稲荷社で同様に大祭が行われることが多いそうです。
由来の看板のすぐ脇には、これまた小さな祠とお地蔵さまもいらっしゃいます。
黒田稲荷神社の場所は、浜松有楽街の、マツモトキヨシと
Tiaraの間。
浜松の街中に行く人は、かなりの確率で通る場所でもあると思います。
いつもは素通りする所でも、たまにはちょっと足を止めてお参りしてみてはいかがでしょうか。