可睡斎(萬松山 可睡齋/曹洞宗)に行ってきた。
金剛力士像のいる、山門をくぐり、本殿にお参りをする。
本殿の本尊は聖観世音菩薩。
本殿を左にそれ、奥へ向かうと、秋葉総本殿三尺坊大権現御真殿がある。
秋葉三尺坊大権現 は火伏の神様である。
台所に貼ってある火防のお札にそのお姿を見ると、
白狐に乗り、羽のある烏天狗の姿で、手には、剣と羂索を持ち、背には迦楼羅焔。
持物・迦楼羅焔は、不動明王と共通である。
以下引用
秋葉山の山岳信仰に、信州出身の修験者である三尺坊を歿後に秋葉三尺坊大権現として
御前立ちとして祀ったことが起源である。
三尺坊は、越後の長岡蔵王権現の十二坊の第一である三尺坊に篭って修行した[2]のがその名の由来であり、
観音菩薩の化身とされた。遠州大登山秋葉寺から勧請された秋葉社が全国に広まった。(以上WIKI)
江戸時代には、庶民は講を立てて秋葉参りをした。
秋葉道という道までできているほどであるから、多くの信仰を集めたのだろうし、
江戸時代の密集した木造市街地においては、今以上に火防は重要だったのだろう。
御真殿から今度は、右に右に道を行くと、出世六の字穴がある。
徳川家康が、幼い頃武田信玄の軍から追われ、父と共に隠れたのが、この出世六の字穴という。
そして、匿われたお礼の席上で、仙麟等膳和尚が居眠りをするのを見た家康は
「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」
と言い、和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか東陽軒という寺の名が可睡斎となった。
確か、 鳳来三河三石の道の駅の近くでも、武田勢に追われた家康を匿った寺があったはずサ。
三方ヶ原の戦でも惨敗しているので、よほど武田武士が強かったのか、それとも・・・
六の字穴を少し上がると、奥の院がある。
本尊は不動明王。
不動明王というと密教のイメージだが、
曹洞宗では、座禅の仏としてまつることもあると聞いたことがある。
さて、本尊の観世音菩薩、奥の院の不動明王、そして秋葉三尺坊大権現が、
その姿、または、垂迹で繋がっていると思うのは、おれだけだろうか?
さて、次は何処へ行こうかなア。